「ウイルスという迷信」が終るとき
まず どんなウイルスにも存在証明がない 件から👇
カナダにないのではなく、例によって世界中にないという意味です
長い回答ですが、要するに ”記録が存在しないのは請求内容に問題があるためで、一般的な「細胞培養🧫」の記録ならあります” ということです。「患者の検体から直接純粋化したもの」を請求したので怒られてしまいましたw
この情報公開請求をしたカナダのクリスティーン・マッシーさんがこう言っています👇
「ウイルス分離」「写真撮影」「ゲノム解析」の際に使われた方法を精査しなければなりません。それは「COVID-19」「ウイルス学」の全てが崩壊する時です。
NZのサマンサ・ベイリー医師👇
Why Nobody Can Find a Virus(なぜ誰もウイルスを見つけることができないのか)の中でこう述べています👇
【ウイルス学の終焉】
現実には誰もウイルスを分離していない。なぜなら正しい実験を行えばその粒子はウイルスではないことが明らかになり、ウイルス学は終了してしまうからだ。
ウイルス学が崩壊、終了するとはどういうことか、見て行きます。
ベイリー医師は続けてこのように👇
ウイルス存在の最も決定的な証拠は人間のような宿主の中から直接見つけることだが、患者から粘膜や血液を採取しても、1個のウイルス粒子も発見されない。
患者の検体からウイルスを直接見つける=(本来の分離/単離、精製、純粋化)すること。
情報公開請求ではおなじみの文言ですね👇
これをやるということです👇
考えてみたらごく当たり前のこと。
ところがこれをやっていないのが「ウイルス学」なのです。
その理由は検体の中にはウイルスが少な過ぎてこのやり方では何も出て来ない、だからウイルスを培養する必要があるのだそうです。
ここで素朴な疑問:
「ヒトの検体中にはウイルスが少な過ぎる」「何も出て来ない」🐵?
だったら感染なんかしないはず・・・
ウイルス学の世界ではその「少なすぎる」ウイルスを🐒の腎臓細胞(Vero細胞)に入れて培養するんでしたね。そしてそれを「分離」と呼んでいます👇 でも
この「細胞培養」には分離=分けて離す、という行為がどこにもありません。
「サルの細胞が死んだからウイルス分離に成功」🐵?
これを分離と言うにはかなり無理があります。
しかも対照実験によって、実は検体なしでも細胞は死ぬことがわかっています👇
細胞が死ぬという現象に「ウイルス」は関わっていないのです。
つまりウイルスを培養しているという話自体がウソということになります。
細胞が死ぬ理由は化学物質と細胞に与える栄養カットのせいです。
この実験には細工がしてあるのです。
そこでベイリー医師は「ウイルスが少な過ぎる検体からのウイルス直接分離」についてこう提案します👇
では、コロナに感染していると言われる人たち数百人、数千人からサンプルを採取し、それらを総合してみたらどうだろう。
数千人分の大量の痰や鼻水や粘膜?からであれば、「少なすぎるウイルス」もさすがにまとまって出てくるんじゃないかと。
「感染爆発」もしてるようですし、人数を集めるのは簡単なはずです。
「ウイルスの存在証明」と言うと、何か雲を掴むような難しい話に聞こえますが、実はこういうシンプルなことで、そこにいるであろう「ウイルス」を取り出すことなのです。
なのでコロナは「存在証明がされていない」と言うより「取り出されていない、分離されていない」と言った方が具体的で問題の核心に迫れるのです。
「猫にも存在証明はない」とか「学術論文は行政文書ではない」とかそういう方面の話ではないことがわかると思います。
さてそうやって大量の検体から直接ウイルスを分離を試みたとして…ベイリー医師👇
そのようなサンプルを純粋化しても言い訳は同じで、そこにはウイルスは見つからないらしい。 つまり「患者の身体は何兆ものウイルス粒子であふれかえっているはずなのに、その表面からも内部からも何も見つからない」ということなのだ。
大量の検体からさえも何も出て来ない・・・
そうなるとウイルスなど元々なかったことが明るみになり、ウイルス学は終了し、「COVID-19」共々全てが崩壊してしまいます。
日本の医師も👇
ウイルスの存在を主張する側がこの実験をやって結果(ウイルスは出て来ない)を認めることは決してないでしょう。
それをやればワクチン、ウイルス関係の薬、治療方など、これまでのすべてが終わってしまうからです。
それを食い止めるため、今後も「検体にはウイルスが少なすぎる」「ウイルスは生きた細胞内でしか増殖できない」などと言いわけをし、検体から直接ウイルスを発見するのではなくそれを🐒の腎臓細胞に混ぜ、そこから「ウイルスを発見」し続けるのでしょう。
トム・コーワン博士はこの件について中国のウイルス学者に尋ねました👇
10:35~
コーワン博士:
武漢ウイルス研究所の20年のベテランウイルス学者で、
エール大学でウイルス研究室を20年持っていた人に聞いてみた。
「COVIDの患者の体液からSARS-Cov-2を見つけられるか」と
「患者十人の気管支から体液を取ってそれを混ぜたら十分か」
と聞いたが「ノー」と言う。
「百人ならどうか」「ノー」
「千人なら?」「いいや十分でない」
「1万人の体液を混ぜたらウイルスを見るのに十分か」
ウイルスの存在証明というと難しい話のような気がしますが、たったこれだけのことができないということです。
わかってみればこんなわかりやすい詐欺に何十年も騙されていたのです。
私たちに今できるのは彼らに間違いを認めさせることよりも、一人ひとりが事実を知って、この「ウイルス」という巨大な迷信から離れることではないでしょうか。
★ここまで述べてきた話「体液の中にはウイルスが少な過ぎて見つからない」は実際にそうであり、ウイルス学者にとっての常識です。
(厳密に言えば少な過ぎるのではなく全くありません)
しかし私達一般人にはウイルスとは逆にこのようなものであると説明されています⇩
唾液にも鼻水にものどの粘液にもいっぱいで、だからこそ飛沫感染、空気感染などと言われるのです。
ウイルス学者はマスクする私達を見て内心嗤っているのではないでしょうか?










